YL8.0でも読めるところだけでいい。
10万語超の厚い本でも、1%読んだら1,000語になる。
小さい字ならリーディンググラスをかけたら良い。
知らない歴史ならググったら良い。
知らない国になら和書でも児童書でもDVDでも参考に
すれば良い。
否定的にならずにとりあえず読むという行動のきっかけを肯定的なものばかりにしているのは今も変わっていません。
読む前から無理って誰が決めた?自分を信じる方が良い。
結局は自分が読む気になるかどうかだし、本によっては途中からダルくなったりするものもあります。
読めなかったら、放置すれば良いのです。この本が面白くないんだと本のせいにすれば良い!!
実際に、数年経ったらあっという間に読了した本は数多くありますし、一冊の本に固執して数カ月かかってはぁはぁ言って読んだところで、それは「読んだ」行動を完了しただけの場合があるようです。
まるで言葉と遊べなかった、感動できなかった、怒れることがなかったら、言葉というのはからっぽな型でしかないし、得るものはあまりありません。
それでつまらなかったって作者に失礼じゃありません?
そんなことしたって得るものは眼精疲労だけか、はたまた肩こりか。
私は1000万語までは量で解決できると思っています。
良く「投げていたらもったいないと思いませんか。力がつかないと思わないですか。」と聞かれますがそんなことありません。
もったいないというのは主観的なものであって、後で読めればべつに良いわけです。力は1冊の本を読了することで着くと思うなら完全に自分が読了できる本をとりいれて、それで満足すれば良い。PBはちょっとリスキーな冒険だから引き返してダメ元やんってね。
色々な本に出会い、色々な作者の文章を読むことが、先々の様々な本を選ぶときの自分の自由度を高くするものだと思っています。
だからどんどん読めるように自分がなるかが一番大切でした。
無茶はします。
どんな無茶かって?
面白いと思ったらすべてを放置してでもどんどん読む。
読むために有給休暇ってあるんでしょ?
どんどん読めるなら別に寝ない。
1日寝ないからって何とかなるでしょ。
おもろそうと思った本はとにかく買う。
読めるか?なんて考えない。
おもしろそうと思う自分を信じる!
たまに無茶したからって何か損するってことはないでしょ。
だってやってみないと自分が苦手な作家やジャンル、読みづらいフォントなんてわからないもん。
ということは快適な読書を探れないってことだし、他人の書評だけではいつまでも面白いPBに出会うなんて無理です。あくまでも参考。
とまぁ、こんなに自由というか勝手な私のようですが最初に多読を始めたときはそうでもなかったんですよ。タドキスト諸先輩の読んだ本をマーカーで引いてコンプリしようとしたり。それだって読みたいと思った気持から出た行動だったとしたら、別にいいんじゃないかな。
ということで、数多くのPBをジャンルもあれこれとりいれて量を読むことで速度は速くなったと思います。
無理なんてやるまえから思わずに無茶してだめなら投げれば良い。
こだわらなくていいし、がっかりしなくていい。
ちょっと精神論的だなぁ。
でも私の洋書読書スタイルで一番大切な柱なのかもしれません。
次はもうちょっと具体的に書けるかな。
「映画やドラマなどの原作に的を絞る。」
です。
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